文体にまつわる話

私がこのブログをです・ます調で書いているのは、自分が書きやすいし、なにより丁寧な方が印象がよいかなあと言う淡い期待です。それに「だ・である調」は私にとっては、刺激的過ぎて、大上段に振りかぶった文章を書いてしまいそうになります。でもこんな記事をみかけました。

もう何年も書いていないのですが、小説を書いてはほそぼそ書いていたときは、作品に合わせて文体を変えてました。

たとえば……。四畳半フォークの乗りの作品ではですます調。
「僕が初めて真知子と出会ったのは、津川というたいして親しくもない友達の部屋でした。」
なんて書き出しでした。
たとえば……。戦争の話だったら、だ・である調。
「右眼が疼いた。古傷が疼くときは、感傷的になる。そんなときは酒でも飲んでさっさと寝たいところだが、今日は何となくそれも気分じゃない。」

文体選びは楽しい作業だし、書き手の気分を盛り上げるのに必須です。私が、より自然体で書ける文章は「テラワロス」ではなくて「やあ、おもしろいですね」なわけです。

とはいえ、コミュニティの中にとけ込んで、出来るだけ匿名性を重視して書き込みたいなら「テラワロス」を書かないといけないわけで。共通の文体でコミュニケーションをとることは少なからず連帯感を生みますし。

がんばってブログを書くようになって、ネタ探しや研究も兼ねていろんなブログを読んで思ったのですが、いろんな書き方、いろんな文体がいろんな思いを乗せて書き込まれています。

ディスプレイの上で、冗長な文章を読むのは超苦痛です。「だ・である調」は、文章を細かく切って端的に伝えるのに、ですます調より向いていると思います。ネットにはネットの文体があっていいと思います。
「テラワロス」はネット上の文体なんだろうなと思います。

とはいえ、みんなが本当に手軽に、思い思いの文章で情報を発信していることが面白い。と、いうわけで。文体よりも大切なのは情報を発信することだと言う話です。

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